信号とYシャツと私

さて、今日も今日とてアルバイトに行って帰ってきた私ですが。
偶然にも、行きも帰りも、道中、とある信号(以下、信号A)が、丁度僕が通りかかる瞬間、若しくは限りなくそれに近いタイミングで、青(進行可能)に変わったのであった。
さて、これは何故起こりえた状況か。
まず、考えられる可能性として、そういう台本だ、という説がある。大衆的な言い方をしてしまえば、映画『トゥルーマンショウ』の主人公が私である、と仮定して頂ければ分かり易いだろう。しかし、本日、アルバイトに持参、つまり携帯して行くのを忘れて、ベッドに置きっぱなしになっていたままの携帯電話、彼は、私がその朝最後に彼を見たときと、なんら変わりのない姿でそこにいたのである!嗚呼、なんて、非ドラマチック!着信はおろか、爆発や融解の形跡すらないとは!!
次に、考えられる可能性として、そういう台本だ、という説もある。一般的な言い方をしてしまえば、そういう運命だ。ってことだろう。しかし、私は生憎、ヌー*1のような運命論者ではない。
さて、ここに来て考えられるのは、偶然、ということだ。偶然。数多ある可能性事象から、天文学的確立抽選によって、導き出された状況。偶然。
その可能性は、例えば、簡略化して、信号Aが明滅する感覚をtとした場合、(この場合、頭文字(イニシャル)tの“t”は、時間(time)、信号(traffic signal)、及びTHE ALFEEの頭文字に由来するものであることを付記しておく)めんどくさいから計算できない。

ごきげんよう

あ、あと実は僕ちょっと運命論者だったりもします。

*1:萩尾望都著『11人いる!』の登場人物。辺境の星ヴィヌドーから来た。本名、ヴィドメニール・ヌーム。詳述は避けるが、“ヴィドメニール”は名というよりも、クラスのようなもの。詳しくは、『11人いる!』を読まれたし。