今日もお説教です osekkyou。

まずね、自分のやっていることが、全体像に対してどこに位置していてどういう役割をしているかってことを考えるべきだと思いますよ。


僕は、よく、「ベースってのはバンド全体を○○だとすると、××みたいなもんだと思う」とかって言うんです。言うのが好きなんです。喩え話が好きなのもあるし、そういう分かったようなこと言いたがりなのもあると思うんですけど。


でも、それって大切だと思うんです。
自分の、また他人の役割は何なのか。
例えば、単純な話、総和が1になるのが良いんだとしたら、アイツが−2でコイツが+4だから、俺は−1の役割をやろう、というようなね。
何事も、複数人数でやることはひとりじゃ成り立たないんですから。
ひとりひとりがいて、全体になって、全体でまたひとつなんだから。
だから、誰が何の役割で自分がどう立ち回れば良いかってことを把握しておいて得こそあれ、損はない。


もっと分かりやすくバンドの話にします。
音楽の要素なんてリズム、メロディ、ハーモニーしかないんです。極端な言い方ですけど。
ボーカルがいるバンドの多くは、そのサウンドをリードするのはボーカルに他なりません。
それに対して、歌を引き立てるための演奏があります。伴奏ですね。
勿論、ロックバンドにおいてはこの限りではありません。しかし、その場合も何か中心になる要素があるはずです。
ボーカルが中心になる場合、その要素は大抵メロディです。勿論、リズム要素の強いボーカルだっているし、ハーモニーの一部としてのボーカルだってあります。それ以外のパート(もしくは複数のパートの集合)が中心になるときも、メロディか、リズムか、ハーモニーかが中心になるわけです(まぁ、本当はその複合なんだけど、それでもなにか芯だとか核になるものはあるはずです)。
まず、それを見極めなければ話になりません。そしてそれに関してメンバーの意思の統一が図られていることが望ましい。と、いうか、後述するような天然の場合と、統一されていないことが奇跡的に効果的に働く場合とを除いて意思を統一しなければならないでしょう。何も言わなくてもそれがお互いに分かっている場合もあれば、てんでばらばらな場合もあるでしょう。話合いをした方が良い、とは言いません。何故なら、良い楽曲や良いバンド、健全なバンドの状態であれば、自ずとそれは明らかになるでしょうから。
さて、中心になる要素が決まれば、あとは、それに対して各々がどうアプローチするかを考える番になります。
いかにしてメインの要素を引き立たせるか、引き立たせないか、つまり、いかにして魅せるか(勿論、現実的には聴かせるか、ですが)ということです。
とりあえず、音を出してみてお互いの方向性を探るのも良いでしょう。何も言わなくとも、他のメンバーがどのようなプレイをするか、つまりどの要素からアプローチしてくるかによって自分の立場を見極めることも可能です。また、どうしても譲れないアプローチなりフレーズなりがあればそれを主張して他のメンバーに違う要素を任せても良いでしょう。
重要なのは、自分が何をしているか、それは何のためにしているか、です。


ドラムだからと言って、リズム要素ばかりに気をとられてはなりません。なりません、とも言えないのですが、僕はそう思う。実際、ドラム(セットのうちのほとんど)は分かりやすく音程の出る楽器ではないのでハーモニーを意識することは難しいとも思うのですが、所謂「歌っている」ドラムっていうのはメロディのあるドラムってことだと思います。ドラマーはもっとメロディってことを意識してみたら良いんじゃないかと。と、言うか、全パートメロディアスであるべきだ、というのが僕の持論なんですけどね。全パート歌ってるべきだと。各々のパートがメロディをちゃんと持ってるって言う、ちょっとポリフォニック的な感じでもあるんでしょうかね。
ベースも、ドラムと纏めて「リズム隊」なんて言われますからリズム要素ばかりに目がいきますが。勿論、それも大切で、基本のようなもので、当たり前のようにリズム要素は大部分を占めるんですけど、そのうえで、ハーモニーってことをもっと考えるべきだと思うんです。僕はこれはもうずっと言ってるんですけど。ベースって言うのは音程がちゃんとわかりやすく出せる。バンド全体のコードの最低音を多くの場合担うことになるわけです。ただ音が低いだけじゃないっすよ。勿論、その低音だから、グルーヴなりリズムなりに大きく関わるわけですが。同時にメロディやハーモニー(所謂主になるメロディをベースが演奏することは稀なので、多くの場合ハーモニーになるわけですね)の一部だってことを忘れないで欲しい。
ギターは、それこそなんでもできる楽器で。どの要素にもなり得るんだけど。キーボードも近いものがあると思うけど。僕にとってはこの辺の楽器って音楽のテクスチャ的な役割だと思ってるんです。とか言いながら、ギターが楽器としては一番付き合い長いし、一番家で弾く割合も多いんですが。だからこそ、って言うのもあるんですけど。色々出来るからこそいろんな味付けができる。勿論、それだけではなくて、バンドや曲によってはリズムの主体になったりとか、いろんな立場があるんですけどね。


って、なんだか話が逸れちゃいましたけど。
各々が決して固定ではなくて、曲やら曲中のパートやらによって自分の立場をちゃんと理解する、と。みんなにこれが必要なのかは分かんないですけど、少なくとも僕のような理屈馬鹿には必要なんです。


あ、そう。さっき後述するって書いた天然の人。簡単に言うとその点に関しては天才ってことなんでしょうけど(もっとも僕は、「天才=環境」論者ですが)。考えなくても野性の勘なのか偶然なのかなんなのか出来ちゃってる人っていうのは確かにいると思います。そういう人は「俺そんな難しいこと考えてないよ」とかって言いながらこうやって(まだまだ未熟ですが)考えている僕なんかよりもよっぽど良いプレイを、的確なプレイを、するわけです。あと、経験で、考えたり言葉に出来なくてもこういうようなことを分かってる人は沢山いるんでしょうな。ただ、僕は頭でっかちなので。理屈馬鹿なので。考えてしまうんです。それも嫌いではないので。天然の人を見て、尊敬するしうらやましいとも思ったりもするけども、その人の見れないものを見てる自負はありますから。


でも、自分の好きなことなんだからもうちょっと色々考えてみても良いと思うんだけどな。もっとも、考えてても軽々しく口にしたり、ましてや酔ってもいないのにブログにそんなこと書いたりしないだけなんでしょうけど。みんな言いたがりじゃないのかな。中途半端なことをなんでもないやつが偉そうに言ってもかっこ悪いだけだしね。でもそれを書いてしまうのですが。


結局なんなんだか。そんな2710文字。これがレポートなら良かったのに。まぁ、なんとかエッセイにはなれどレポートにはならないのは分かってるけど。