あーああーあ

とりあえず、作ってたやつできたよ。

下の2Uのが電源部。上のがチューブプリアンプ。で、その上のコードが自作DCケーブル。


音出してみたら、ミスもなかったようで、一発動作!
音は、最初、操作が良くわかんなかったんだけど、慣れてくるとなかなかどうして。
当たり前なんだけどチューブ感がすごい出てます。ガツンと張りがあります。
まだギターでしたためしてなくて、マイクとかラインもやってみようと思うんだけども。

あ、電源部は、雑誌のをほんのちょっとアレンジして、真空管機材のヒーター電源用にスタンバイスイッチをつけました。これもうまくいった様子。

そうこうしてるうちにもうあと10日で来月号だしな・・・
サンレコ来月号の製作記事はチューブリミッターらしいよ!
これは作らなきゃ。『土日本』の過去もの作ってる余裕無いなぁ・・・金銭的にも時間的にも。


さて、明日はライブなのに。
他のことばっかりしててやってなかったラジオの更新をし、
mixiをちょっとだけ見てまわり。


なんなんだろうね。mixiでやる意味がいまいちわからん。楽しそうは楽しそうだけど。
まぁ、告知だとかそういうことには重宝するのかも分かりませんけど。


なんか、最近、ちゃんと音楽を聴いてない気がする。まずいな。実にまずい。
CDをちゃんと聴いたのも今日が久しぶりだし。
あーあ。
なんか、パッとしないんだよね。気分が。
そりゃ、ほとんど一日中家の中にいたり、バイトが決まってなかったり、そういうのもあるけどさ。将来に対する漠然とした不安www とか?


なんていうか、何かに理由つけて休んでばっかりのやつが言うことじゃないのは百も承知だけどさ、ゆっくりしたい。テレビを捨てればいいのか?そうなのか?
宮川賢氏が、正月休みにハワイかどっかのリゾート地に行って、初めて行くとリゾート地でも観光したりしてむしろゆっくり出来ないけど、二度目三度目だともう別に観光とかすることもないから、良い気候の中、本当にゆっくり出来るって言ってたけど。そういうのかな。
やっぱり、テレビを捨てればいいのかな??外国行くか。
バンドが無ければ、別に外国行ってもいいんだけどね。あとは外国でろくに言葉がわからない外国人をパートタイムでも雇ってくれるところがあれば。外国っつっても僕としてはヨーロッパがいいですけど。そうじゃなきゃニューヨークか?いや、ニューヨークってのは正直気取り過ぎてる勘が否めないね。行ったことないけど。でもN.Y.は世話しなさそうだな。一回行きたいな。


エフェクター作ってると、それはすごく、心が休まるし、集中できるし、技術の向上だとか、完成して音が出るとかの達成感も感じられるし、で、良い音出るしで、まったくもって精神衛生上素晴らしいことばかりです。
これからは、カリキュラムの中にエフェクター製作を入れることをお勧めします。


っつうか、教育再生とか政治家がのたまってますけど、あれはもう勘違いも甚だしいと思います。
僕は、はっきり行って、ゆとり教育でも詰め込み教育でも良いと思う。
僕の義務教育時代はまぁ、ちょっとゆとりにシフトしてった時期なのかな?よく分かんないけど。
実際、ゆとり教育ってものそれ自体が成功だったか失敗だったかはこんな短いスパンで分かるわけはない。
で、一番の問題は何かって言うと、学校教育自体はそんなに大きな問題では無いってことなんですよ。


じゃあ、何かって言うと、学力低下もいじめの増加(本当に増加してるんだっけ?―してるとしたら、)も、一重に僕は親だと思いますよ。
親の教育って言うか、育て方ってのはそれくらい大事ですよ。
学校教育なんてそれに比べたらおまけに過ぎない。
要は、学校で学ぶ、学べる、学びたい、学びたかないけどサッカーしたい、とかそういう、子供の意識、意欲とか関心とか知識欲、好奇心、想像力、意志、そういうものを育てるのは明らかに学校に上がる前も上がってからも親でしょう。まぁ、親と言うとちょっと狭いんで、まぁ家族ですか。便宜上親って書きますけど。
はっきり言って、僕の知る限り、良いやつ、出来るやつの親は出来る人ですよ。その出来るっていうのは別に有名大学卒だとかそんなことを言ってるんじゃなくて。偏差値と頭の良い悪いは別ですから。本質的にはそこまで違わないと思いますけど。
面白い発想が出来るやつはきっと小さい頃から面白い発想ができる環境で育てられてきたし、頭の回転が速いやつもきっと小さい頃から頭の回転が速い環境で育ってきてるはずです。音楽家の子供に音楽家が多いのも環境でしょう。環境ってのは才能とほぼイコールだと思います。天才って言うのは、良い親を持ってるっていうのと結構近い。まぁ、そこは家庭環境とかもあるから一概に親っては言えないけど。少なくとも良い環境ですよ。
何にとって良い環境なのかはわかんないけど。


で、教育に話を戻すと、要は、分からないことは自分ですぐ調べる、とか調べれば分かる、とかそういうのって大事でしょう。分からないことって言うのは、多かれ少なかれ自分で調べれば何か分かるんだぞ、っていう。
何も、数学の問題みたいにバシっと法則が出てくるんじゃあないけど。
その最初の部分には、人に聞くっていう調査の方法もあってよくて、じゃあその嚆矢は何かって言うと親に聞くってことなんじゃあないかと。親に聞いて、答えが得られる、と。勿論、ずっとそのままじゃあ人に聞くしか出来ないやつになっちゃいますから。教えてくんは嫌われますから。
そのうち、一緒に考える、だとか、一緒に別の方法で調べる、だとか。辞書を引くのでも良いし、実験してみても良いし。まぁ、そりゃあ、その加減やタイミングたるやものすごく難しいんだと思いますけどね。
で、調べれば分かるってなると、次に疑問が出てきたときに知りたくなるんですよ。きっと。
分かんないんじゃあ動機付けが弱すぎますからね。
そういうのが知的好奇心につながっていくと。
で、みんながある程度高い知的好奇心(高いって言っても計る指針が無いけど)をもっていれば、ゆとり教育も成功するでしょうよ。それが、ただ与えられることに慣れきってしまってるガキにいきなりゆとりを与えたってポケモンムシキングラブ&ベリーしかしませんよ。しかってことはないけど。


でも、そんなに親が全部の責任を負うのは重いんでないか、と仰るかも知れませんが、じゃあ親になんかなるな、と。親ってのはそれくらい責任重いもんなんですよ。子供ってのはあんたらが避妊しないで楽しくセックスした結果できた愛の結晶でもなんでもないですよ。いや、そうだとしても、それ以前に、人間ですからね。
勿論、僕だってそんなの、いつか子供が出来たとしてもどう接していいかなんかわかんないですよ。自分の子供なんだったら甘くなりそうなもんですよ。だけど、たぶん、別に甘くても良いし、わかんなくても良いんだろうと。そんななかで、とにかく頑張れ、と。変に型にはめることと健康にさえ留意すれば。あとは、本当に愛情を持って接してりゃあ、そりゃ否が応にも良い子に育ちますよ。きっと。育ってくれ。頼む。


で、学力の低下ってのも問題はあるけど、昔から出来ないやつはいるわけで。別に世界地図見せられてアメリカの場所が示せないバカなんてのは僕の世代にもそれより上にもごまんといるし。
ただ、そういうやつに対して僕が不思議なのが、何でもいいけど、テレビでも本でも会話でも、「アメリカ」って出てきたときにせめて「どこにあるんだろ?」くらいの興味は湧かないのかと。小学校の地理の時間に先生の話つまんないし地図帳眺めてりゃあわかることなのになぁ。
まぁ、でも良いよ。それはそれでも、国民全員が分かるようになってるのもなんか怖いし。ばかは面白いからいて欲しいし。ただ、自分の職場とかで仕事に差し支えるようなバカはやめて欲しいけど。勿論、勉強できない人をバカと言ってるわけじゃあなくて。アメリカがどこかも気にしない、というか初めからそんなこと頭に無いやつをバカって言ってるんですよ。あ、そうすると、面白いバカと気に障るバカがいるのね。むしろ、そういうこととは無関係に、言わば「芸人力」みたいな方向性の「バカ」の方が素敵ね。
で、なんだ?何書こうと思ってたのかわかんないや。
まぁ、学力の低下ってことで言えば僕も確実にその一端を担ってるわけですよ。こんなに本読まない文学部生は昔はいなかったって言うし。でも、それは大学ってもの自体のあり方だとか大学に対する価値観だとかそういうのが違ってきてるんじゃあないのかなぁ。
いつまでも同じものさしじゃあ測れないよね。


で、話は変わるけど、偏差値の高い大学に行くことそれ自体は何も偉いと思いませんよ。はっきり言って僕はそれなりに有名な私大に通ってますけど。以前、当時のバイト先の店長に僕の口の聞き方を注意されたときに、「早稲田だかなんだか知らないけど」的な物言いをされたことがあって、そのときに僕は初めて学歴コンプレックスってやつを目の当たりにしましたよ。このおばさんはまぁ、世代的なこともあって、僕らよりずっとそういう観念が強いんでしょうが。はっきり言って僕にはそんなつもりはまったくなくて。仮に僕が店長に対して偉そうな口のきき方をしてたんだとしたら、それは僕自身の性格の所為であって学歴に由来するものではまったくない。で、その性格も勿論、通ってきた学校とかその周囲の環境には影響されてるけど、だからって学歴に由来するものなわけがない。


ただ、ひとつ今でも印象的な友人との会話があって。
それは確か僕らが大学一年のときだったんだけど。
それは、「知識量のせいで伝わらないギャグがある」みたいな話なんです。
要は、僕もその友人も、今まで、例えば、中学時代に言っても、周りの友達はその背景に対してあまり知識がないために伝わる人が非常に少なかったと。で、地元ではそれなりに進学校な高校に行って、ここに入ってくるやつならだいたい分かるだろう、と思って同傾向のことを言ってみると、それでもやっぱりそこまで多くには伝わらない、と。それがまたそれなりの偏差値の大学、ってくることによって段々と会話が伝わる相手が増えてきた、という話なんですよ。
今考えると、僕はその友人よりは圧倒的に知識量劣ってますが。
まぁ、考えてみれば特に地元の公立校に行ってる段階ではみんな選んで来てないから、趣味の合うやつが少なくて、大学くらいになると、みんな大学のカラーとかもあって自らの意志で選んで入ってくるから趣味が合うやつが多いってだけかも知れないね。
それでも、やっぱりそういうのってあると思うんですよ。



で、結局なんだかわかんなくなりました。結論も出てないのに見切り発車するのはやめましょう、と。
あと、親は超大事、と。


自分で書いといて申し訳ないけど、「超」って・・・


でも、本当、この親にしてこの子あり、にもなっちゃうし。子供は親の背を見て育つし。
三つ子の魂百までだし。親って大事だと思うよー。


そういうことをひとしきり書いて、何が言いたいかと言うと、僕は自分の親にものすごく感謝してるってことです。


こうかくと、まるで自分がちゃんとした人間だって言ってるみたいだな。
そんなことはないよ。
ただ、頭の回転の速さと、記憶力のよさ、知的好奇心の旺盛さ、みたいなのは我ながらあると思うのです。
それだけが良い人間じゃあないでしょうが。
っつーか、留年したうえにフリーターとか社会から見れば塵同然だぜ!イヤッホー!!


と、いうことで、親に感謝しつつ、そして、もう分別のある年齢なんだから、親に恥ずかしい思いをさせないためにも。一生懸命やってかなきゃあなぁ。そんなこんなで明日はライブ。明々後日もライブ。お待ちしてます。