腰痛い

おかげさまで、久々に腰をヤッてから1ヶ月が経ちました。
腰痛い痛いの中、八王子から帰宅するのは本当にキツかった。

おかげで、仕事も4日休んじゃったし、バンドのRECも自分のパートが予定よりちょっと遅れちゃったし。

いや〜、久々にきたし、相変わらず急にきたからビビったねぇ。
今考えると、疲れも溜まってたし、前日八王子泊まって、慣れない環境で寝たし、気温も上がり下がりしてたし、条件は結構揃ってたんだけどねぇ。



ところで、“「昔は良かった」は100%嘘”ってどうなん。

いや、言いたいことは分かる。つもり。いろんな技術も進歩して発明・発見もあり、文化も成熟し、様々な選択肢も増え。

でも、そもそもこの「昔は良かった」ってのって「昔」が「良かった」って言ってるわけじゃないんじゃないんかね。ある種の慣用的表現であり、文学的表現であり。

まず、その前に、俺自身は「昔は良かった」なんて微塵も思いませんけどね。
あと、一応つっかかっておくと、「良かった」ってのがそもそも主観だから別にそこに真偽なんてないんじゃあねぇの。ってのはありつつ。


でだ、ひとつには「昔は良かった」って言う人は、別に昔が「良かった」と思ってるんじゃなくて、現状を憂いているだけなんじゃあないか。今がダメ。じゃあいつがいいの?→昔じゃね?というか。
だから、肉体的に色々ままならなくなってくる年寄りがよく言うんじゃないかしら。
あと、新しいものについていけないから。だから、「昔は良かった」は「若い」っていいね。って話なのかという説。


それから、「昔は良かった」って一体主語が何なのかと。この場合単に「昔」ではなく、たとえば。
「昔は(技術も設備も今と比べればとても貧相だったけど、だからこそ、人々が工夫していたので、その感じは)良かった」だとか。「昔は(理不尽な決まりごとも多かったけれど、その網の目を掻い潜ってこそこそとやってた感じが)良かった」だとかっていう。
まぁ、わざと両方「〜感じが」って書いたけど、そういう雰囲気もんでもあってさ。別に理屈じゃあないのよ。
それなのに、それを理屈で論破しようだとか否定しようだとかってのは無粋。
そして、言葉がすごく曖昧で範囲が広くて、前後や詳細が無いとちゃんとした意味はお互いに理解できない表現なんだから、それを単に言葉面だけひっ捕まえてとやかく言うのはどうかと思いますよと。
勿論、それしかないんだから、言葉面を捉えなきゃ何も言及できないんだけどさ。

別に、自分にその感覚が無かったり、そういうことを言う人を否定したいのは勝手だけど、だったら言う方も勝手だし、言わせておけばいいじゃんか。懐古大いに結構。思い出は美化されるから美しい。
現在楽しいことが無ければ、美化された記憶の中に救いを求めたっていいじゃない。


ん〜、なんかまとまらないけど、そういう感じ。
まさに「感じ」なんだけど、どうにも風呂入りながら考えてたら憤ってきたので、自分の思考整理のためにも一旦書いてみました。ごめんなさい。


再度書いておきますが、自分自身は「昔は良かった」とは基本的には全然思いません。
ただ、昔、というか過去の特定の場面や特定の作品等に言及して、「良かった」ということは大いにあって。
みんなそうだろうけど。あの時のあの瞬間は傑作だった、と。そういうのすら表現の仕方如何では「昔は良かった」とも言えちゃうわけでさ。

まぁ、こういうことに対して言ってないのはわかるよ。俺が屁理屈こねてるのもわかる。

っつーことで、ごきげんよう