分解能

君の中の分解能はどこまでだい?
わかりやすくするために、ここでは音楽に限った話にしよう。
BPM(テンポ)にもよるけど、普段何分音符まで意識してるかってこと。
いや、意識はしていないんだけど、自分の中の自然な感覚として、どこまでがぱっと、すーっと使えるか、ってことですよ。
普通の人は――僕もそうだけど――きっと、普通に何気なく生活してる多くの人は16分音符までなんじゃないかと思う。
何気なく、鼻唄なんか歌ったりして、32分音符を使うことなんてないでしょ。
ただし、装飾音は別として。
むしろ、32どころか、16分音符も日常生活の中ではあまり出会わないかもしれない。
実際、多くのヒット曲のメロディは8分音符以上の(長さの)音符だけで歌えてしまう。

先に、僕は普段16分まで、と書いたけど、実は2つのシチュエーションでは違うときがある。それは、ひとつはドラムのフィル(自分ではそんなに叩けないのだけれど)。もうひとつはギターのソロプレイにおいて。この2つのときは6連16分までになってる。
これは、紛れもなく今まで聴いてきた音楽の影響なんだけれど。

けれど、やっぱり歌を歌うときは、16分音符だって装飾音だったり、歌詞をはめるために使っているだけだったりして、ほとんどのメロディは8分音符まででできてるんだな。
そんなことを思ったのでした。

まぁ、先にも書いたようには実際にはテンポにもよるので、あるテンポで記譜した場合の8分音符が、丁度半分の(速さの)テンポ(つまり単純に数字的にBPMが1/2)では16分音符として捉えられる、のだけれども。
でもきっとそれはその楽曲に対して気持ちの良い捉え方ではないんじゃないでしょうか。
逆に無理矢理書けばあるテンポでの全音符を64分にだって出来るわけで。でも、そんなことしても意味はない。その曲の中で自然に使われている音符に対して、自然に捉えた場合、ってこと。まぁ、僕は楽典勉強したわけでもましてや専門家でも無いので、正確なところが気になる方は専門の方に聞いてみて欲しいのですが。

で、話を最初の行まで戻してみよう。どこまで、細かく感じてますか?
君の中に無いところまでの細かさは、君には唄えないのです。
まぁ、それで困ることも無いのでしょうけれど。そこまでの概念が無いのだから。
けれど、より細かいところまで見えていれば、カメラを引けば大きいところだって見えるわけで。単純に考えると大は小を兼ねていて。

これは何も音楽に限った話じゃない。画像の解像度だってそう。*1
今や巷では携帯電話に付いてるカメラが何百万画素だー、なんて言ってる時代です。
時代。科学の進歩、技術の進歩によって、機械は進化しています(なんだか機械に対してこのいかにも生物的な「進化」という語を使うのは少し奇妙で面白いですね)。
では、それを使う側、君の解像度は?それは決して肉体的な限界、とかいうことではなくて。
君の解像度は、分解能は、君が見たいものに追いついてるかい?

※「分解能」という言葉自体音楽以外のシチュエーションで使っているのをあまり見ないけれど、字面だけとると「分けて解ることが能う」ってことですからね。「どこまで細分化して認識、理解し、考えることができるか」ってことですから。音楽以外のシチュエーションで使っても良いんですよね。

*1:この方が例えわかりやすかったかなぁ。