3月

もう三月ですね。去年まで花粉症っぽかったけど、今年はまだ全然大丈夫です。今年ひどそうな話聞いてたから怖かったんですけどね。

そうそう、ところで、音楽についてあることを考えていたんですけど、それは音楽だけじゃなくていろんなことに(少なくとも何かを作る・創る・造るということに関しては)言える話だと思うので、今回は箪笥に例えて話を展開してみたいと思います。

箪笥職人。“職人”という言葉から受けるイメージにもあるように、昔ながらの“伝統”を受け継いで、今に伝える。昔ながらの素晴らしい箪笥を製作する。昔から、伝統的にあるものとはいえ、現代でもその確かな機能性や美術性はそれだけで十分に価値のあるものであるし、現在までにその伝統の職人技を受け継いでいる職人が少なければそれだけ希少価値もある。
職人たちは、伝統の技を受け継ぎ、伝統に沿って箪笥を製作し、伝統通りの素晴らしい箪笥で人々を魅了する。しかし、伝統とは言え、職人も人間である故ひとりひとりの個性はあり、その職人にしかない個性による多少の差はでる。しかしそれも“伝統”という大きな枠組みから見れば小さな誤差に過ぎない。素人には違いがわからない程度である。
人々もまた、突拍子の無いものよりも、伝統的で昔から変わらずに素晴らしい職人の箪笥を欲する。特に箪笥の世界に明るい人は職人ごとの微妙な差に好む好まざるを感じるであろうが、一般の箪笥が欲しい人たちはそこまではあまり気にしない。それよりも、職人の素晴らしい箪笥が我が家にあればそれで良い。

一方、新進気鋭の箪笥作家もいる。昔ながらの箪笥を欲する人にはうけないが、今までの箪笥に何か釈然としないものを感じていた人々には大変人気になる。勿論、奇をてらっただけのものではない。今までの伝統を踏まえた上で、更にそこから何かひとつ抜け出す。いつの日か、彼の箪笥がスタンダードになる日が来るかも知れない。

と、言ったことですよ。喩えが的確じゃないかもしれないけれど、音楽にもそういうジャンルはあるでしょう。ある時期に確率された、あるひとつのフォーマットにのっとっていて、曲がある程度以上良ければ、そのジャンルのファンには受け入れられる、というものが。
そこでははっきり言って、とりたてて新しいことをしなくても(勿論、先に述べたように一定以上に楽曲の良さと、一定以上のテクスチャのクオリティがなければならないが)ある程度は“売れる”のである。
創作=何か新しいことをすること。では無いと思う。
が、自分はそうありたいと思う。

少し別の話だが、スマパン解散後に、非常にスマパン的なバンドが出てきた。曲もある程度良い。スマパン無き今、スマパンの新譜は期待できない。が、しかし、彼らのサウンドはまるでそれのようでもある。(まぁ、僕はそこまで熱烈なスマパンファンではなかったので、そういう詳しい人たちがどう思ったかは分かりませんけどね)。期待通りに曲は展開し、まるで期待通りのギターサウンドが鳴る心地よさ。やってる人たちの意識がどうなのかは知らないが、そこに、“新しいこと”は見当たらないようだ。しかし、曲自体が所謂「パクリ」なわけではない。フォーマットが酷似している、というだけの話。

話を戻します。期待通りの作りの、期待通りの使い心地の、箪笥を欲する人間も大勢いる。
みんなが期待する箪笥にちょっとだけ個性のエッセンスを加えて、もっとみんなに歓迎される職人もいるだろう。まったく今までの箪笥とは違うものを作り、一部の人にだけ受け入れられる職人も、全く新しいものが大衆に受け入れられる職人もいるだろう。

どのやり方も悪いなんて風には思わない。ただ、俺なら、君なら、どんな箪笥を作るかって話。勿論、箪笥なんて作らないのだってあり。