時代

難しい話ですよね。


時代の流れを読み、大衆の気持ちを掴む。


いやぁね、昨晩、たまたまつけたNHKジブリの鈴木さんとかの番組やってまして。


時代感てのはあり過ぎるとその作品自体が普遍的でなくなってしまうのか。


だけど、時代性ってのは色褪せてなお美しいもので。否、色褪せているからこそ美しいのか。色褪せないのか?


時代、背景、世界を敏感に反映させるのは重要でしょう。

と、言うか否応無しに反映されるものでしょうけど。

好む好まざるに関係なく、確かに、その時代に、今に、生きているわけですから。


例えば、所謂80年代のシンセの音って今聞くと(勿論使いかた次第なのだが)結構ダサイものが多かったりする。と思うんです。
テクノロジーの先端って、当然時代感はすごく出るんだけど、下手すると見られないようなものになってしまう危険性がある。それは、その後の同軸上にあるテクノロジーの進歩とか、それこそ流行とか、いろんな要因によるんでしょう。
はっきりはいえませんけど。はっきり言ったら卒論1本分くらいになるテーマなんじゃあないか。


しかし、時代性の無いものははっきり言ってしまえば、(相当巧く意図したのでも無い限り)面白くない。なんで今、これ、なの?ってことになる。
まぁ、時代性の無いものなんてないって先に言ったような気がしますが。
それは、お得意の言い方で言うなら、
「「時代性の欠如」という方法論により表現される時代性」
ってことでしょうか。


こういう言い方って、うまいこと言ってそうで、実は何も言ってないのと同じだったりする気がしちゃうんだけど。「特徴の無いのが特徴です」みたいな。そんなこと無いか。それか例が悪いか。


毎回長すぎるんで短めにいこうと思いますが。


時代性=テクノロジーではない。
が、テクノロジーは大いに時代を反映する。
時代がテクノロジーを生み、テクノロジーが時代を作る。


そういう表面的な表現方法/技法等等とは別にして、もっと芯の部分にある、それこそ「テーマ性」の問題としての時代性ってこったな。


以上。


あ、まぁ、リバイバルってのもあるしね。実は今80'sなシンセキラキラなのとか結構かっこ良いの多かったりするのよね。


そんなこと言っといて今のBGMがKANSASの『POWER』じゃあ。