さっき、なんとなく、久しぶりに友達のブログをいくつか見て回ったんですが。
みんなすごいんだよな。えらい。色々悩んだりしてるし。難しいこと考えてるし。
で、それをブログに書いてるし。
いや、ブログの面白さとして、他人の生活覗き見る、的なことがあるのは実感も含めて分かってますので。
僕が今書いたみたいな普通の日記もいいでしょうけれど。


そんなに難しく考えなくて良いのにな。そういう意味ではあの人とは相容れないかな、とか。けど、決して切り捨てたりはしたくなくて、よ。
まぁ、文章にすると考えも落ち着くし気も楽になるし。そういう意味でも良いんだけど。
あと、世間みんなが俺みたいな考え方の人だときっとうまくいかないし。
でも、世界はそんなに悲しくはないんじゃあないかな、と言ってあげたい。言えないけど。
いや、悪意や悲劇には満ち溢れているよ。自意識も自我も気持ちが悪いくらいに溢れている。
そうなのだけれど。
そんなに悲しくはない、と。そう思うのです。
勿論、その理由を相手に押し付けてしまうのはよけいに世界に悪意を蔓延させるだけなのですが。
そうじゃあなくても、救いはいくらもあるんだよ、と。僕には何もできないけど。
いや、これがある友人のブログを読んだ感想なのですが。
かと言ってそれを当人に直接言ってやったりはしない。
その人がここを見るかもわかんないし、見て意味がわかるかもわかんない。
けどねぇ。もっと、こう、天気が良かったりとか、優しかったりとか、仕事で自転車の防犯登録調べなきゃいけなかったりとか、女装コスプレして店頭で太鼓の達人してる達人がいたりとか、秋葉原のパーツ屋さんが居眠りをしていたりとか、意外と若い人もけっこういるな、とか、先輩に挨拶したりだとか、以前のバイト先から久しぶりに電話があって聞かれたことがあるけどお役には立てないとか、カレキチって店名はマズくないか、カレヲタとかカレマニくらいなら表現規制的にOKか、とかでもカツはけっこう美味いだとか。そんなこともそれ以外もいっぱいあって。そういうのって全部それぞれが意味もあってお互いに何かしら与えていて与えられていて。きっと言葉を知ってるあの人はもっと的確な言葉でそれを言いあらわせちゃんだろうけど、そういうのも含めて、なんて言ったらいいのか。
とにかく、そんなに悲しいことを言うのはやめて欲しいっていう。
勿論これも僕の完全に利己的な発言でしかないのだけれど。
それでも。それでも、例えば僕が過去に何か自己満足のためだけにした行動があってそれに君も関わっていて。
そこで君に何か些細なことでも影響を与えたりだとか、そんな大それた言い方をしなくても、良くも悪くもひっかかってくれれば。
それで良いじゃない。


それで良いと思うんだけど。本心から思えなくてもそれで良い。
その前に前提にあるはずの本心てのは何なのか。
そんなこと考えるくらいなら本心なんてないのだから。
別に納得して欲しいわけじゃあないし、改心して欲しいわけじゃあないし、ましてや僕のことを尊敬なんてして欲しいわけなくて。
もっと単純なところにあって。
で、さっきも書いたように完膚なきまでに僕が僕のために思ってることなんだけど。
君はきっとそんなことはないから。
社会の中で生きていくうえで、抑制することや偽装することも必要なのかもしれないけど。僕だって知らず知らずのうちに社交辞令を言ってしまうことがあるけど。
けど、そんなに悲しくない、と思うから、そんなに悲しいことを言わないで欲しい。
で、言わなくなったらなったでそれも偽装だと疑うのかもね。僕は。
偽った君の姿を僕が偽らざる君だと思い込んでるってこともあり得る。
けど、意外とそんなことはないと僕は信じているのだ。
鈍感な人だって、分かるんだよ。君が擬態していることくらい。
僕も大いにそういうふうに思われてる可能性は高いけども。
しかし、それはいつだってコミュニケーション不足で。半分は僕が意図したもので、あと半分は僕の自意識が過剰なせいだと思うよ。


って、いったい何を書いてるのか当人にも分からないんです。もう書くがまま。打つがままです。
久しぶりにちょっとイタイ感じの文章でしょうか(久しぶりじゃなかったらすいません、あと「イタイ」は元来否定的な表現ですが僕はあんまりそういう風には思ってません)。


で、つまり何が言いたいかって言うと、友だちがブログなんかであまりにも悲しいことを書いてると僕まで悲しくなってしまうじゃあないか、ってことかな。でも、それを言えずにこんなところに書きつけるジレンマ。


あー、言葉が欲しい。
輝くような。
透き通るような。見透かすような。
それでいて、純粋で、且つインテリジェンスに溢れた、
言葉が欲しい。


いつから僕は本をあまり読まなくなってしまったんだろう。