風邪をひいて熱もあって眠れないので

体力は全然無いはずなのに。

んでさ、ロマンチックとかロマンとかそういうことって何かって言うと、やっぱり想像力の問題だと思うわけですよ。
さて、その想像・妄想・ロマン・・・に現実的な裏付けだとか根拠ってのはいるのかしらね?
と、思ったわけですよ。

(久々過ぎてブログの書き方が全然おぼつかない…)

たとえば、最近目にした言葉で、出典書いてる諸々の余裕が無くて申し訳ないんだけど。
「女なんて星の数ほどいるよ」って言ったら「太陽は1個しかないだろ!」って返された的な話がありまして。

でも、太陽が1個しかないってのは今自分がいる太陽系しか見てないから言える話なわけで、別の星系(で言葉の使い方あってるか自信ないけど)には別の太陽もあるわけで、もしかしたら双太陽なんてのもあるのかも知れないしで。
だいたいが太陽だって星だしな。

っていうのはロマンチックだと思うんだけどどうなんだろう。
って思いまして。

最初のに対して言うと、確固たる裏付けやら根拠なんていらないんだと思うんだけど。
でも屁理屈こねるのは性格だから勘弁。


でさ、たとえば「音楽で世界は変えられる」っていうのはどうなんかね?


ぶっちゃけ変えられないじゃない。戦争は無くならないじゃない。悲しみは減らないじゃない。


でも、ロマンチックな言葉としてそれを語る分にはいいのかなぁ?
無根拠にものすごい浅い考えでそんなこと言ってるやついたら音楽に謝れって話だけど、そもそも音楽への接し方なんて人それぞれどうでもいいわけで。俺ごときがとやかく言える問題は何もないわけで。
けど、まぁそういうのには流石に批判的だけども。あと、それをあたかもロマンとかじゃあなくて現実の力かのように語るのはね。


でも、ロマンとしてなら語ってもいいんじゃないか、というか「音楽で世界は変わらない」って方が傲慢で凝り固まった考え方にも思えてしまいまして。

だいたいからして音楽がある状態の世界に生まれて・育ってるんだからここは「すでに音楽によって変えられた世界」だというのも成立し得るし。
そもそもが世界なんつうもんは認識の集合なんだから、「音楽で私が変わる」から「音楽で世界が変わる」とも言えるじゃないさ。人ひとり変えるくらいは余裕だと本気で思ってるからねぇ。大体が自分が変わった側だと思うし。
人が変わったかどうかはそりゃ、わかんないけど。もともとこうなるようにできてた人なのかもしれないしね。運命論的な話じゃあなくても、育った環境とか諸々で。
少なくとも生活は変わったよ。
学生時代は毎月4万からアマゾンでCD買ってたわけだしさ。

それで多少なりともお金が動く→世界が変わるとも言えるし。
もちろん「“音楽の力”を利用して意図するままに世界を変える」なんてのは到底無理だと思います。お前にそれを操れる力なぞない、と。それこそ「力」なわけで。どう使うかは人次第だけど。完全に話逸れてるけど。大きすぎる力は人間ごときには使えない!ってのはいろんなRPGに教わったもんね!(笑)


んで、そもそもなんの話だっけ?ロマンチック的な話か。


ん、だからひとつは「人がふざけてんのにマジレスすんな」ってのと「おまえごときの狭量な想像力の型にはめんな」ってことだな、要は。どっちも自分自身にも言えるんだけど。ってかそうじゃないと意味がないんだけど。全方位お互い様に。

さすがに熱があるだけあってするする書けるけど後で読んだら恥ずかしいんだろうなぁ。

ボカロって実はシューゲイザーにはぴったりなんじゃないか

昼間気持ち悪かったのも腹減ってただけみたいだし。
けど、気持ち悪くて食欲ないのに、その解決策が飯食え、ってのもたいがいですが。
無理してでもなんかいれとかないといけない、との仮想お母さんの声に従い、ウイダーインゼリー的なものをチューチューしましたけれども。

さて、いい加減寝るか。

明日起きて熱がひいてなかったら会社休もう。
2日も休んじゃうと来月の給料心配だけどしょうがないよ。体には変えられません。



息苦しい。けど生き苦しくはないのでよし。

久しぶりに書いたらなんか楽しいから今後もっと書こう。別アカかもしれないけど。

書くことはいくらでもあるもんなぁ。


後から読み返すのは恥ずかしいような駄文、ってか文章にすらなってないけどねー。


そんじゃまぁ、ごきげんよう