フィクション1

卓郎は辟易した。まるで日課のようになってしまったコンビニでの買い物をすませ、向かう先の信号が、ほんの10メートル先の信号が、まさに赤に変わる瞬間を目撃してしまったからだった。
しかし、直後に卓郎は思わずほくそ笑んだ。何故ならその彼の家からもっとも至近の信号は、朝も夜も今日のような雨の日でさえも、ほとんど車が通らず、常日頃彼もその近所の住民と思しき人たちも信号の色に関わらず渡っていることを思い出したからだった。否、思い出すというほどのことでもない。当たり前のことに気付いただけだった。彼にとって当たり前のことに。

その日は珍しく、交通量が多かった。特に急ぐ用事もないので、卓郎は信号を待った。実に2ヶ月ぶりにこの信号が変わるのを待った。
信号を待つ間、卓郎は、街灯をぼんやりと見つめていた。寝室の電気の豆球によくにた形だった。毎夜彼が眠るとき、いつも見つめる灯りだった。思えば彼は眠るときに、必ずこの灯りを点けたままにしていた。どれだけ記憶を遡っても、キャンプの日と台風での停電を体験した8歳のとき以外はあの灯りを見つめて眠りについていた。
兄の影響だろうか。父の仕事の都合で小学3年の夏休みに引っ越して以来、兄が中学校にあがるまでの間、卓郎と兄とは同じ部屋で生活していた。卓郎は2段ベッドの下の段で、電球の灯りを見つめることも出来ずに眠った。しかし兄は、豆球を点けたまま眠っていた。見上げても兄のベッドの下しか見えないが、部屋は薄ぼんやりとオレンジ色の灯りに包まれていたものだった。それ以前は母と同じ部屋で寝ていた。母の影響だろうか。どちらにしろ、これは自分が怖がりだからではなくて、今までの環境の所為なんだと卓郎は思った。思い込みたかった。

家に着くと、冷たい鉄のドアを開け玄関に入った。目をつぶってもわかる場所に玄関の電気のスイッチはあった。彼の家の玄関の電気も、あの豆球に似た色だった。
コンビニのビニル袋をソファに置き、卓郎は冷蔵庫を開けた。買ってきた牛乳をしまうためだったが、庫内にあった先月買って以来まったく手をつけていないわさび漬けに目を奪われた。思えばここ2・3日、冷蔵庫を開けた記憶がないな、と卓郎は思った。
思って直後、彼は笑いをこらえきれなくなった。2・3日なんて思っているが、正確に、かっきり6日、彼は冷蔵庫を開けていないことを知っていたからだった。
確かに知っていたからだった。